同じトヨタ・カローラが、アメリカでは約2万2000ドル(約330万円)。ところがシンガポールでは、諸費用込みで16万シンガポールドル(約1,900万円)前後になる。車種は同じなのに、値段が5倍以上違う。なぜシンガポールの車はここまで高いのか。その答えは「車そのもの」ではなく、車を持つ”権利”を競売で買わなければならないという、世界でもまれな仕組みにある。本記事では、この国の車事情を「COE」という制度から構造で読み解く。
結論 ― 高いのは「車」ではなく「車を持つ権利」
シンガポールで車を買うとき、価格の大半を占めるのは車両本体ではない。COE(Certificate of Entitlement=車両購入権)と呼ばれる「10年間この国で車を持っていい」という許可証の値段だ。2026年初の入札では、普通車クラス(カテゴリーA)のCOEだけで、2026年春の入札では約11.8万シンガポールドル(約1,400万円)に達した。車を1台も買っていない段階で、すでに高級車1台分の”入場料”がかかる。
COEとは何か ― 10年分の「車を持つ権利」を競り落とす
COEは1990年に導入された「車両割当制度(Vehicle Quota System)」の中核だ。政府はまず「国内を走ってよい車の総数」を決め、その枠の分だけCOEを発行する。新しく車を持ちたい人は、月2回おこなわれる入札(オークション)に参加し、この権利を競り落とさなければならない。有効期間は10年で、切れたら更新するか車を手放す。
つまりCOEの値段は、車の原価とは無関係に「枠の少なさ」と「欲しい人の多さ」だけで決まる。景気が良く車の需要が高まれば、COE価格は青天井に上がる。カテゴリーは排気量や用途で5つに分かれ、大型車向けのカテゴリーBはさらに高い。車の値段が市場の気分で乱高下する――これがシンガポール特有の光景だ。
なぜここまでの仕組みにしたのか ― 国土・渋滞・公共交通
背景にあるのは、この国の圧倒的な土地の狭さだ。シンガポールの面積は東京23区ほどしかない。ここで全員が自由に車を持てば、道路はたちまち麻痺する。そこで政府は「車を持つこと自体を高価な特権にする」という選択をした。COEで台数を絞り、走行段階でもERP(電子式道路課金)で混雑時の通行料を取る。需要を価格でコントロールする発想だ。
もう一つの理由は、国産自動車産業を持たないこと。車を売って雇用を守る必要がないため、政府は「車を増やす」インセンティブが薄い。その代わりに地下鉄(MRT)やバスなど公共交通へ集中投資し、「車がなくても困らない都市」を設計した。車を高くするのは、裏を返せば公共交通を選ばせるための政策でもある。
「税金の積み木」― COEだけではない
価格を押し上げるのはCOEだけではない。シンガポールで車を買うと、おおむね次の費用が”積み木”のように重なる。
- 車両本体(OMV:公開市場価格) ― 車そのものの輸入価格
- 物品税 ― OMVの20%
- GST(消費税) ― 9%
- ARF(追加登録費) ― OMVに応じて段階的に課税(高い車ほど税率が上がる)
- COE ― 上記の「車を持つ権利」(しばしば本体より高い)
結果として、車両本体が300万円ほどでも、諸費用込みの支払いはその5〜6倍に膨らむ。世界一高い車社会と呼ばれるゆえんだ。
カテゴリー別のCOE価格 ―「車を持つ権利」はいくらか
「車を持つ権利」であるCOEは、車種によって5つのカテゴリーに分かれる。2026年春(4月)の入札では、普通車向けのカテゴリーAでも約11.8万シンガポールドルに達した。最新の落札価格を円換算(1S$≒120円)で並べると次のようになる。
| カテゴリー | 対象車種 | COE落札価格(2026年4月) | 円換算(概算) |
|---|---|---|---|
| A | 小型車(1,600cc以下) | 約11.8万S$ | 約1,400万円 |
| B | 大型車(1,600cc超) | 約12.1万S$ | 約1,450万円 |
| E | オープン(全車種可) | 約12.1万S$ | 約1,450万円 |
| C | 商用車・貨物車 | 約8.0万S$ | 約960万円 |
| D | バイク(二輪) | 約1.0万S$ | 約120万円 |
普通の乗用車を持つだけで、権利の値段が約1,400万円。車両本体は別だ。一方でバイクのCOEは約120万円で、車との差は10倍以上ある。「何に乗るか」より「どの枠の権利を競り落とすか」で総額が決まるのが、シンガポールの車事情の核心だ。
日本との比較 ― 「持てて当たり前」の国との違い
日本では車は「買えば持てる」もので、価格は車種で決まる。地方では一人一台が当たり前だ。一方シンガポールでは、車は「持つ権利を競り落とした人だけの特権」。同じ「車を持つ」という行為が、国の設計思想ひとつでまったく別の意味を持つ。日本の地方の交通とシンガポールの都市設計、どちらが優れているという話ではなく、「限られた土地をどう配分するか」という問いへの、正反対の答えなのだ。
編集部の見解
COEの本質は「税金」ではなく「混雑という見えないコストを、価格に翻訳する仕組み」だと編集部は見る。道路の容量は有限で、誰かが車を増やせば全員の移動時間が削られる。その”外部コスト”を、COEは入札価格という形で当事者に支払わせている。経済学でいう外部不経済の内部化を、国家規模で実装した壮大な実験だ。日本でも都市の混雑や駐車場不足は深刻だが、「持つ権利そのものに値段をつける」という発想はほとんどない。シンガポールの極端な車価格は、「便利さには必ず誰かが払う対価がある」という都市経済の原理を、最も露骨な形で見せてくれる事例といえる。
よくある質問
Q. シンガポールの「車を持つ権利(車両購入権)」とは何ですか?
正式にはCOE(Certificate of Entitlement)と呼ばれ、「10年間この国で車を持ってよい」という政府発行の許可証です。新車を持つには、まずこの「車を持つ権利」を月2回の入札(オークション)で競り落とす必要があります。車両購入権とも訳され、その価格(2026年春で普通車約1,400万円)がシンガポールの車を世界一高くしている最大の理由です。
Q. COEは10年経つとどうなりますか?
有効期間の10年が切れると、車を持ち続けるにはCOEを再度購入(更新)する必要があります。更新しなければ車を手放すことになります。このため、シンガポールの車は10年で乗り換えるサイクルが一般的です。
Q. なぜCOEの値段はこんなに変動するのですか?
COEは発行枚数(供給)が固定されたうえで、入札(需要)によって価格が決まるためです。景気が良く車の需要が高まれば価格は急騰し、需要が冷えれば下がります。車の原価とは無関係に、市場の需給だけで乱高下するのが特徴です。
Q. シンガポールの人は車なしで生活できるのですか?
はい。政府は車を高くする一方で、地下鉄(MRT)やバスなどの公共交通に集中投資してきました。「車がなくても不便しない都市」を意図的に設計しているため、多くの市民は公共交通で生活しています。車の高さと公共交通の充実はセットの政策です。
一次資料・参考
- シンガポール陸上交通庁(LTA)COE入札結果
- MoneySmart「COE Categories in Singapore Explained」
- Toyota Singapore(COE価格・入札結果)/各種車両所有コスト解説
※価格は記載時点の概算です。為替や入札状況により変動します。
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